2006年05月28日

日本と韓国が心からわかりあえる日

昨年の夏頃から、韓国に対して問題を投げかけた本が出版されました。「マンガ嫌韓流」というムック本で、インターネット書店のAmazonで予約1位をはじき出す一方、各方面に対して問題を投げかけることになりました。この本の続編である「マンガ嫌韓流2」が今年初めに出版されて、シリーズ化しています。

また、マンガ嫌韓流に対するアンサー本である、「『マンガ嫌韓流』のここがデタラメ」が今年春に出版されました。この本は、まだ自分は半分ぐらいしか読んでいませんが、様々な参考文献を引用して、反論しています。

私は1991年に一度だけ韓国へ、ゼミ旅行として行きましたが、当時は今ほど韓国の文化が日本に紹介されていませんでしたから、私の認識の中では「お隣同士の国で、かつて日本が取り込んだ国」ぐらいの意識しかありませんでした。そんな中でも韓国の人たちは、表向きは日韓友好を願いつつも、心のベーシックな部分ではいまいち日本を信用できない雰囲気というのを感じ取ってきました。

学校の日本史の学習では、だいたい1900年以降の歴史は、授業時間が無くなって、大急ぎですっ飛ばすので、韓国などの近隣諸国と合わせた近代・現代史っていうのは、おろそかになりがちですし、単純に「韓国・北朝鮮・中国に謝罪しなければならない」としか教えない場合もあって、いまいち知識としては弱い部分であると思いますが、その部分についてスポットを当てた「マンガ嫌韓流」は、良くも悪くも一定の功績があると思います。ただ「謝罪」という言葉を聞くのではなく、「謝罪するのはどの部分においてか」を判断するための、よい機会を与えられたと思っています。

また、アンサー本についても反論が確認できますので、お互いの主張を精査できるわけですから、ただの感情論になるよりは、日韓の溝は埋まるのではないかと思っています。「マンガ嫌韓流」の2冊と、途中まで読んだアンサー本については、今後数百年・数千年にわたって日本は謝罪すべきという論調は見られませんでした。ただ謝罪させるよりも、こうやってお互いが資料を持ち寄って検証するほうが理解が深まりますし、よっぽど建設的だと思っています。なにより、一方的に謝罪させる国同士で、お互いがフェアな関係など築けるわけもありませんし。こういう溝を埋めるような情報公開が、どんどん進んで、日韓両方の理解が深まればいいなぁと思います。

ところで、NAVERなどのサービスを行うNHNのコミュニティで、1951年8月10日にアメリカ国務次官補から韓国大使へ、「竹島(独島)を日本が放棄したと認めない」という書簡のマイクロフィルムが見つかったそうで、今朝からインターネットの一部で大騒ぎになっています。現状では、ただこの書簡が見つかっただけで、怪文書の域を超えないわけで、これを補完する情報で周囲を固めていかなければ、ただちに決定的な証拠と言い切るわけにもいかないと思いますが、少なくとも暫定だったマッカーサーラインを韓国が支持して、決定稿であるサンフランシスコ条約を無視するという方針は、韓国としてはちょっと苦しくなるのではないかと思いますから、韓国は論理の補強が必要になりそうです。

そういう難しい判断は、役人や学者にお任せするしかありませんが、今朝からの流れでひとつ気になることが起こっています。このコミュニティは、日本語・韓国語を相互に翻訳してコミュニケーションを図っているわけですが、今回のスレッドについてのみ、韓国語のページでは親文章が消されています。せっかく、お互いの資料を持ち出しながらの溝を埋める作業が始まるチャンスであったのに、親文章の消去という方法で放棄されてしまうのは、とても残念でなりません。
posted by 「なにかな」管理人 at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/726791
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック